番町麹町界隈『わがまち人物館』
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小身から、外国奉行・町奉行へ

井上信濃守清直(いのうえ きよなお) 1809-1868
井上信濃守清直が住んでいた市ヶ谷付近の地図
写真:井上信濃守清直が住んでいた市ヶ谷付近の地図

御家人、後に旗本になる。勘定奉行だった川路聖謨は実兄。弘化4年(1847年)勘定組頭格(この時点で御家人から旗本へ昇格)となり、安政2年(1855年)老中阿部正弘の信任を得て下田奉行に就任。翌年アメリカ総領事ハリスが下田に来航すると、その応接を担当。安政5年(1858年)岩瀬忠震と共に全権として日米修好通商条約に調印した際も、交渉相手のハリスからもその人格と才覚に絶大な信頼を寄せられた。

安政6年(1859年)大老井伊直弼によってに左遷されるが、間もなく軍艦奉行となり、海軍拡張に尽力。その後南町奉行→外国奉行→勘定奉行公事方などを歴任。慶応2年(1866年)に北町奉行として混乱する江戸の収拾に努めたが、過労で死去。

屋敷は現在の四番町7の東亜ビル跡の駐車場のある場所にあった。

 
@ 井上 清直 屋敷
A 井上の実兄 川路聖謨 終焉の地
B ペリー来航の際に接遇した井戸覚弘 屋敷
C 木村 芥舟が晩年住んでいた場所

 

ジャンル 旗本・軍艦奉行
ゆかりの地(旧)  
ゆかりの地(現) 四番町7

 ※ゆかりの地での(旧)は旧地番を表記し、(現)とはその場所の現行地番を示しています。
     また、現行地番からのリンク先(既成地図ソフト利用)は、あくまでも「その周辺」とご理解ください。

 

参考文献:


千代田区麹町出張所地区連合町会・地域コミュニティ活性化事業実行委員会