番町麹町界隈『わがまち人物館』
テーマ別に見る  
ジャンル別に見る  
カナ名50音順で見る

独特の感性で日本の美意識を打ち出した

白洲正子(しらす まさこ) 1910-1998
白洲正子

 いっときは秘かな“白洲正子ブーム”が起こり、そして昨今は夫の“白洲次郎ブーム”である。この二人の何ものにも媚びない毅然とした生き方は、現代人にとってはなんとも爽やかで“カッコよく”映じるのであろう。白洲正子は、海軍大臣樺山資紀伯爵の孫娘で、貴族院議員樺山愛輔の次女。

14歳でアメリカに留学し、ハートリッジ・スクールを卒業。19歳で、後に吉田茂首相の側近となる実業家白洲次郎と結婚。幼児より梅若宗家にお能を習い、初めて能舞台にたった最初の女性でもある。美術評論、紀行など分野をひろげ、晩年は武相荘と称した古い民家に住み、質実剛健な生活を営んだ。『能面』『かくれ里』で、読売文学賞を二度受賞。

彼女が幼児期を過ごした場所については、『白洲正子自伝』の「麹町区永田町一丁目十七番地」(現:永田町一丁目11・参議院第二別館付近か)に詳しく載っている。これによれば「その家は1930年頃の大恐慌の際に、串田孫一さんの父上の萬蔵氏におゆずりした・・・」とあり、さらに「戦争のはじまった頃、吉田茂氏の所有となり、ここで憲兵隊に踏み込まれたりして、苦難な時代をすごされたようである」とも書か
れ、この邸宅が樺山邸→串田邸→吉田邸と移り変わったことがわかる。

ちなみに夫の白洲次郎は、ロンドンで吉田茂と知り合い親交を深める(正子と吉田は旧知だった)。戦後は、吉田内閣の終戦連絡事務局次長となり、GHQとの交渉で辣腕を振った。サンフランシスコ講和条約の祭には、吉田の顧問として出席。東北電力発足の時には会長に就任。1985年死去。

ジャンル 随筆家
ゆかりの地(旧) 永田町一丁目17
ゆかりの地(現) 永田町一丁目11

 ※ゆかりの地での(旧)は旧地番を表記し、(現)とはその場所の現行地番を示しています。
     また、現行地番からのリンク先(既成地図ソフト利用)は、あくまでも「その周辺」とご理解ください。

 

参考文献:


千代田区麹町出張所地区連合町会・地域コミュニティ活性化事業実行委員会