番町麹町界隈『わがまち人物館』
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紀行文の名手だった国粋派

大町桂月(おおまち けいげつ)  1869-1925

国士風の詩人だった大町桂月は、少年時代、番町に住み大叔父の多賀宗義(陸軍少佐)に養われながら番町小学校に通い、明治15年に卒業している。その場所の詳細は不明。桂月は、番町小時代の恩師の思い出を『冷汗記』の中で書いている。桂月は、与謝野晶子の「君死にたまふこと勿れ」に対して、「太陽」10月号(明治37)において徹底的に批判した。それに対して晶子もまた「明星」11月号(明治37)で「この御評一も二もなく服しかね候」と書き出して論破し、さらに桂月の怒りを買うという事件もあった。晩年は、日本各地を回りさらには朝鮮半島、満州にまで足を伸ばして多くの紀行文を書いた。その終焉場所が旅先の青森県蔦温泉であったのも、いかにも紀行文の名手であった彼らしい。

ジャンル 評論家・詩人
ゆかりの地(旧)  
ゆかりの地(現)  

 ※ゆかりの地での(旧)は旧地番を表記し、(現)とはその場所の現行地番を示しています。
     また、現行地番からのリンク先(既成地図ソフト利用)は、あくまでも「その周辺」とご理解ください。

 

参考文献:


千代田区麹町出張所地区連合町会・地域コミュニティ活性化事業実行委員会