番町麹町界隈『わがまち人物館』
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百間先生、今でもノラをお探しですか。

内田百間(うちだ ひゃっけん)  1889-1971
 

                                ※内田百間の「間」は、正しくは門構えに月です。

 

内田百間旧居跡その1

「阿房列車」の作家が、戦前に住んでいた家は五番町。

当代一の随筆家、内田百間は、それまで住んでいた市ケ谷の合羽橋の借家から、麹町区土手三番町37番地(現:五番町12。現在の番町会館のところ)の借家にに移ってきたのは昭和12年の暮れ。ここを含めて内田百が住んでいた場所が、この近辺に3ヶ所ある。ニ七通りの五番町交差点から四ッ谷へ抜ける道筋は、まさに「百間通り」といっても過言ではない。土手三番町37には、昭和12年から東京空襲で焼け出されるまで住んでいた。

内田百間旧居跡その2

東京大空襲で焼け出されて掘立て小屋を。

四ッ谷の土手際から現在の東京中華学校までの一帯を山口銀行の社長だった人の邸宅であった。戦時中は一時軍需大臣官邸となっていたが、五番町37にあった百間宅が昭和20年5月26日の東京空襲の時に焼け、その翌日から塀際にわずかに焼け残った三畳しかない掘立て小屋に、丸3年の間住み続けた。



内田百間旧居跡その3

愛猫「ノラ」を探し歩いた巨匠晩年の家。

内田百間は昭和23年から向かい側の土手際の掘立て小屋から、道路を隔てた向い側の六番町6−15に40坪の土地を買い、昭和23年から歿する46年まで住んでいた。
その間「百鬼園随筆」として番町の暮らしをいきいきと描き、「東京焼尽」「ノラや」「日没閉門」など多くの作品をここから生み出した。



本名栄造。岡山市の生まれ。陸軍士官学校、海軍機関学校、法政大学などでドイツ語を教える。この間、夏目漱石の知遇を得て、教職から作家生活に入る。瓢逸味に溢れた「百鬼園随筆」によって人気を集める。黒澤明監督作品「まあだだよ」は、彼がモデルである。古くからの六番町の住人にとっては、彼が愛猫ノラの失踪を憂いて必死になって探している様子が今でも記憶に新しい。


ジャンル 作家
ゆかりの地(旧) 麹町区土手三番町37番地 六番町6−15
ゆかりの地(現) 五番町12番地         六番町6番地15

 ※ゆかりの地での(旧)は旧地番を表記し、(現)とはその場所の現行地番を示しています。
     また、現行地番からのリンク先(既成地図ソフト利用)は、あくまでも「その周辺」とご理解ください。

 

参考文献:


千代田区麹町出張所地区連合町会・地域コミュニティ活性化事業実行委員会