彼の名は知らなくとも、彼が日本に紹介した『自由を我等に』『巴里祭』『会議は踊る』などの映画史上不朽の名作は燦然と輝いている。明治36年一番町に生まれた。北京大学に学んだ後ドイツに留学、国際交流の重要性を実感。昭和3年東洋と西洋の和合を願って「東和商事」を設立し、ヨーロッパ映画を日本に紹介する仕事を始めた。
上記以外にも『女だけの都』『望郷』『民族の祭典』など数々の名作を輸入・配給した。戦前には日中合弁の中華電影公司の最高責任者に就任。中国側スタッフに自由な映画制作を許し、軍部からの圧力に抵抗した。戦後、社名を「東和映画」と変更し外国映画の輸入を再開した。またヴェネチア映画祭で黒澤明監督の『羅生門』がグランプリを獲得、日本映画を世界に知らしめた。生涯、かしこ夫人と共に海外の映画祭にも出席、国際的映画人として知られた。現在、一番町18に川喜多記念映画文化財団がある。
ジャンル | 実業家 |
ゆかりの地(旧) | |
ゆかりの地(現) | 一番町18番地 |
※ゆかりの地での(旧)は旧地番を表記し、(現)とはその場所の現行地番を示しています。
また、現行地番からのリンク先(既成地図ソフト利用)は、あくまでも「その周辺」とご理解ください。
参考文献: