指揮者の小澤征爾をはじめ、今でこそ日本の音楽家は世界に雄飛しているが、戦前から指揮者として活躍し、日本にオーケストラを根付かせた男がいた。その名は、男爵近衛秀麿。公爵近衞篤麿の次男として生まれ、兄は後に総理大臣となった近衞文麿という家柄。パリとベルリンに指揮を学ぶために留学。1924年には、ベルリン・フィルを指揮しヨーロッパでのデビューを飾った。
山田耕筰と共に民間初の本格的オーケストラである日本交響楽協会を結成するが、山田と対立し分裂。近衞は新交響楽団(現NHK交響楽団)を設立して指導にあたる。戦後は、東宝交響楽団(現:東京交響楽団)、近衞管弦楽団(後にABC交響楽団=解散)を設立し、日本の交響楽普及に貢献した。
ちなみに、彼のあだ名は「オヤカタ」。「親方」ではない、「お館」である。彼が生まれたのは、当時麹町七丁目20番地(現在の麹町四丁目7番地の参議院議員宿舎)にあった桜木邸と称された広大な近衛公のお屋敷であった。
※バロン: 中世以降のヨーロッパにおける貴族の称号の一種
ジャンル | 音楽家 |
ゆかりの地(旧) | 麹町七丁目20 |
ゆかりの地(現) | 麹町四丁目7番地 |
※ゆかりの地での(旧)は旧地番を表記し、(現)とはその場所の現行地番を示しています。
また、現行地番からのリンク先(既成地図ソフト利用)は、あくまでも「その周辺」とご理解ください。
参考文献: