番町麹町界隈『わがまち人物館』
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若き日の詩人は教え子との恋に破れて

島崎藤村(しまざき とうそん)  1872-1943

明治・大正・昭和の三代にわたり活躍した詩人・小説家。明治学院を卒業後、「女学雑誌」の翻訳などの仕事をしながら、明治女学校で英語、英文学を講じる。教え子の佐藤輔子に失恋(輔子にはすでに婚約者がいた)し、傷心の末に一時教壇を去る。戻った時の熱の入らぬ授業は、生徒の相馬黒光をして「ああもう先生は燃え殻なのだもの」(相馬黒光「黙移」)といわしめた。






佐藤輔子

藤村先生。若き日の失恋の痛みは消えましたか。

明治学院を卒業した藤村は、明治24年に「女学雑誌」の翻訳の仕事をしたことをきっかけに、翌年秋から教壇に立ち英語と英文学を教えるようになる。ときに藤村20歳、多感な年頃であった。 そして教え子の佐藤輔子を恋するようになるが、彼女には許婚がおり藤村は失意のうちに一時女学校を辞職。しかし翌27年には再び教壇に立つ。想いを寄せた輔子を、後年藤村は「春」で勝子として登場させている。

写真: 明治女学校の教え子で失恋した佐藤輔子と若き日の島崎藤村

島崎藤村

時は移り、藤村は国際ペンクラブ大会に出席のためアルゼンチンへ渡り、帰路アメリカ、フランスをまわって、昭和12年1月に帰国するとそのまま新居を六番町に移した。ここに居を移す陰には、ペンクラブ大会にも同行した有島生馬の熱心な誘いがあったといいう。すでに功なり名とげた藤村が、再び六番町に戻ってきた意図はどこにあったのだろう。晩年を、ほろ苦かった青春の地で過ごそうと思ったかどうかは定かではないが、心の片隅にその記憶が残っていたのは事実であろう。当時の住まいから5分足らずのところにあった、かつての明治女学校跡を彼は何を思いながら通り過ぎたのだろうか。


ジャンル 作家
ゆかりの地(旧) 麹町区下六番町6番地
ゆかりの地(現) 六番町3番地

 ※ゆかりの地での(旧)は旧地番を表記し、(現)とはその場所の現行地番を示しています。
     また、現行地番からのリンク先(既成地図ソフト利用)は、あくまでも「その周辺」とご理解ください。

 

参考文献:


千代田区麹町出張所地区連合町会・地域コミュニティ活性化事業実行委員会