新派の名女優・水谷八重子(本名:松野八重子)の家が紀尾井町3にあった。島村抱月、松井須磨子らの芸術座の理事をしていた水谷竹紫(姉の嫁ぎ先)のもとに、母とともに寄寓。その縁で芸術座で初舞台を踏む。1918年に雙葉高等女学校に入学。その後、新劇、新派などに出演し人気を得る。37年守田勘弥と結婚したが51年に離婚。戦後は、新派の中心女優として活躍。晩年までそのみずみずしい演技が賞賛された。2世水谷八重子を襲名した一人娘の良重(1939-)も、ここで育った。
ジャンル | 新派女優 |
ゆかりの地(旧) | |
ゆかりの地(現) | 紀尾井町3番 |
※ゆかりの地での(旧)は旧地番を表記し、(現)とはその場所の現行地番を示しています。
また、現行地番からのリンク先(既成地図ソフト利用)は、あくまでも「その周辺」とご理解ください。
参考文献: