番町で産声をあげた白樺派の巨匠・武者小路実篤。
武者小路実篤の父・武者小路実世は政府から派遣されて
ドイツに5年間留学したほどの逸材であった。
実篤は、元園町一丁目38(現:一番町19)の広い住まいで生まれた、3歳の時その父が亡くなり、以後は3歳違いの兄公共とともにこの地で育つ。
父は、兄については「わるくいっても公使になれる」と言い、実篤については「この子をよく育ててくれる人があれば、世界に一人という人間になるのだが」と言ったと、自伝小説「或る男」の中で述べている。
その父の予言通りに、公共はドイツ公使に、そして実篤もまた「お目出たき人」「幸福な家族」などの小説を書いた個性的な作家として名を成すに至った。
1885年(明治18)、白樺派の代表的作家であった武者小路実篤は、父・実世の屋敷であった元園町1−38(現:一番町17)で誕生した。明治・大正・昭和の時代を小説家・劇作家として活躍し、明治43年志賀直哉らとともに「白樺」創刊。その後「新しき村」の建設など社会運動にも情熱を傾けた作家が生まれ育った場所である。
また1914年(大正3)に、実家であった兄・公共の家を出て、下二番町48(現:ニ番町4)に借家で所帯を持った。わずか1年あまりであったが、彼が実家を離れた最初の家であった。その後転居し、約10年後には再び下二番町40(現:二番町3)に戻ってくる。
実篤が大正3年に初めて独立した生活を営んだのが、近くの下二番町48(二番町4)の借家であった。その時、志賀直哉に宛てた地図入りの転居通知が残されているが、どうみても彼が描いた地図と住所とが喰い違っており、いかにも実篤らしいおおらかさ感じられる。
ジャンル | 作家 |
ゆかりの地(旧) | 元園町一丁目38 下二番町48 下二番町40 |
ゆかりの地(現) | 一番町17番地 二番町4番地 二番町3番地 |
※ゆかりの地での(旧)は旧地番を表記し、(現)とはその場所の現行地番を示しています。
また、現行地番からのリンク先(既成地図ソフト利用)は、あくまでも「その周辺」とご理解ください。
参考文献: