歌集「みだれ髪」でデビューし、反戦詩「君死にたまふこと勿れ」で知られる情熱の歌人与謝野晶子(鳳晶子)は大阪堺市の生まれ。
幼少の頃から文学に親しみ、さまざまな雑誌に短歌を投稿。明治33年「明星」第2号に短歌を発表して、与謝野鉄幹と出会う。翌年結婚し、生涯に5万首の短歌を詠んだという。結婚の年(1901)に発表した第一歌集「みだれ髪」は、まさに20世紀という新しい世紀にふさわしい女性の自我を高らかに謳った歌集として文学史上に燦然と輝いている。女流作家の第一人者となってからは、古典の「平家物語」や「源氏物語」を現代語に訳して人気を得る。
与謝野家の食卓は、賑やかでしたか。
与謝野晶子・寛夫妻は、1910年(明治43)8月に神田駿河台から麹町区中六番町3番地(現:四番町9)に転居、翌年11月隣地の麹町区中六番町7番地(現:四番町9)に移り、1915(大正4年)8月に麹町区富士見町5丁目9番地に転居するまでの5年間を番町で過ごしている。
この地に住んでいた間の明治44年与謝野寛はフランスへ遊学し、それを追って翌年晶子もまた渡欧する。それにしても二人の間にはすでに3男4女があり、日常の与謝野家の食卓はさぞや賑やかだったことであろう。
ジャンル | 歌人 |
ゆかりの地(旧) | 麹町区中六番町3 中六番町7 |
ゆかりの地(現) | 四番町11番地 四番町9番地 |
※ゆかりの地での(旧)は旧地番を表記し、(現)とはその場所の現行地番を示しています。
また、現行地番からのリンク先(既成地図ソフト利用)は、あくまでも「その周辺」とご理解ください。
参考文献: