江戸後期の画家であり思想家であり、田原藩の家老職であった渡辺崋山は、田原藩三宅備前守の江戸藩邸のあったこの地で生まれ、入牢するまでの天保10年(1839)まで住んでいた。藩政改革に努めたが守旧派に阻まれ失敗。さらに蘭学を学び高野長英らと交情を深めたが、蛮社の獄で弾圧され後に自殺する。西洋画法を取り入れた人物画、山水画を描いた。
ジャンル | 政治家・文人 |
ゆかりの地(旧) | 外桜田・三宅備前守上屋敷 |
ゆかりの地(現) | 隼町4番 |
※ゆかりの地での(旧)は旧地番を表記し、(現)とはその場所の現行地番を示しています。
また、現行地番からのリンク先(既成地図ソフト利用)は、あくまでも「その周辺」とご理解ください。
参考文献: