麹町界隈わがまち人物館

島崎藤村、泉鏡花、有島武郎、樋口一葉、内田百閨A津田梅子、与謝野晶子、滝廉太郎、三浦環、武者小路実篤、中村吉右衛門など、百数十人にのぼる著名人・文化人たちが、かつてこのまちに住んでいました。それらの人物を通して、私たちのまちとのかかわりや業績を紹介します。

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 わたしには、お力もお初も、哀れに思われ、恋敵というような対立関係としては読めなかった。最後の悲劇は心中にも見えるが、逃げるお力を、後ろから源七が切りつけたか。一葉はただ、暗示するだけで、こんな女がいたのですと読者に投げ出すだけだ。

  誰も幸せにはならない「にごりえ」は、本当に暗い小説だけれど、悲恋小説とは、わたしは思わなかった。一葉の強い眼差しは、男女のペアではなく、あくまで、お力やお初という「個人」の葛藤のほうに向けられている。読み終えると、男たちはかすみ、女たちの苦しみのほうが色濃く残っている。彼女らは、抵抗し、錯乱し、転落し、そして敗れる。
その徹底した負の力が、狂気的に輝くのが、お力のあの有名なせりふだ
「あゝ嫌だ嫌だ嫌だ、……つまらなぬ、くだらぬ、面白くない、情ない悲しい心細い中に、何時まで私は止められて居るのかしら、これが一生か一生がこれか、あゝ嫌だ嫌だ……」。

 この声は、明治から令和までを貫き、もはや個人というより、女たちの群れの声となって、地上低くに響き渡っている。

 丸山福山町の一葉の家へは、毎日新聞社の横山源之助が何度かやってきている。長居をしたようだが、何を話したのかはわからない。横山といえば、後に『日本の下層社会』(岩波文庫)をまとめた人物だ。社会の底辺に生きる人々に対する眼差しを、二人は共有していたに違いない。一葉作品を読むと、その流麗な文章に酔わせられるが、作品の底には、情緒の抑制された、ときに冷ややかな人間観察眼が光っている。一葉は酔わない。その詩心は、自分が酔うためでなく、他者を救い上げる視線となって働いた。

 一葉が亡くなって百二十年と少し。わたしには、今も東京という風土に、一葉の詩精神と心意気が、溶け込んでいるような気がしてならない。一葉を知ると、東京という土地が、柔らかくふくらみを増す。雅俗折衷体と呼ばれるその文体には、平安時代から明治に至る、まるで地層のような「ことばの層」が垣間見えるが、そこには女たちの声なき声が、地下水のごとく流れ込み、染み入っているように思われる。

小池 昌代(こいけ・まさよ)

 

 1959年深川生まれ。主な詩集に、『赤牛と質量』、『野笑』、『コルカタ』(萩原朔太郎賞)、『もっとも官能的な部屋』(高見順賞)。主な小説集に、『タタド』(表題作にて川端康成文学賞)や『たまもの』(泉鏡花文学賞)、『幼年 水の町』、『影を歩く』。他に『一葉のポルトレ』『通勤電車でよむ詩集』、『ときめき 百人一首』、『黒雲の下で卵をあたためる』など。短編集『かきがら』が近刊予定。

小池 昌代 オフィシャルサイト
樋口一葉

樋口一葉

樋口一葉の恋の通い路は、本郷から麹町へ。

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津田 梅子

5000円札の肖像

5000円札の顔は、樋口一葉に続き二代続けてこの地域ゆかりの人。

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