麹町界隈わがまち人物館

島崎藤村、泉鏡花、有島武郎、樋口一葉、内田百閨A津田梅子、与謝野晶子、滝廉太郎、三浦環、武者小路実篤、中村吉右衛門など、百数十人にのぼる著名人・文化人たちが、かつてこのまちに住んでいました。それらの人物を通して、私たちのまちとのかかわりや業績を紹介します。

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樋口一葉生誕記念碑リニューアルに寄せて


「貧しさ」をたずねて  小池昌代


 樋口一葉は貧しかった。度々の借金、質屋通い。そんななかで、生涯に十五回もの引っ越しをしている。もっとも、晩年には小説に賛辞を受け、その評判に吸い寄せられるように、様々な人が一葉の家を訪れた。文学の話、世相の話、男女や上下の関係なく、語り合う時間はどんなに楽しかっただろう。結婚もせず、女戸主としての責任を負いながら二十代で亡くなった一葉のことを、哀れに思う気持ちがないわけではない。しかし一葉の貧しさには、自由と華、温もりとしたたかさがあって、わたしはなんだか、羨ましいような、懐かしいような気持ちになるのである。

 現代の貧しさは、格差のなかに生まれる。富める者の一方に、簡単に切り捨てられていく者たちがいる。派遣労働者、下請け業者。低賃金で働く貧しい若者たち。コロナ禍以後、富める者と貧しい者の差は一層、あらわになったと言われている。一度、流れから振り落とされてしまった者が、社会構造の悪循環にはまりこみ、貧しさのなかから抜け出られないとしたら、そこにはもう絶望しかないだろう。貧しさは、今も歴然とある。報道もされる。だが実際のところ見えにくい。現代では貧しさと孤立化が重なっているのだと思う。

 お金というもの、そもそも観念に似たところがあって、仮に銀行通帳に、百万円の預金があっても、それを何かと交換したり、使うことで活かさない限りは、単なる数字の羅列に過ぎない。持てる者ほど、乾いた者のごとく、さらなる富を求めるという風潮もある。比べて一葉の「貧しさ」はどうか。

 借金を頼みにいける人間関係があった、というだけでも、今より人と人とのあいだに柔らかな繋がりがあって、社会全体に救いがあったといえる。借りたお金でも、いや、借金だからこそ、一葉はそれを生活のなかで、一寸の無駄もなく、具体的にかつ活かしきって使った。お金に使われることなく、お金を使った人だという印象をわたしは持っている。

樋口一葉

樋口一葉

樋口一葉の恋の通い路は、本郷から麹町へ。

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津田 梅子

5000円札の肖像

5000円札の顔は、樋口一葉に続き二代続けてこの地域ゆかりの人。

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