秋田の生れ。同志社に学び、その後、巌本善治のもとで「女学雑誌」の主筆となって活躍。ここで明治の黎明期の西洋音楽の批評などを行なっており、島崎藤村は彼の感化で音楽評論に興味を持った。明治女学校でもその情熱的な講議は人気が高かった。
後に阪急の小林一三に招かれ、宝塚音楽歌劇学校で教鞭をとっている。
ジャンル | 文学者 |
ゆかりの地(旧) | 下六番町6番地(明治女学校) |
ゆかりの地(現) | 六番町3番地 |
※ゆかりの地での(旧)は旧地番を表記し、(現)とはその場所の現行地番を示しています。
また、現行地番からのリンク先(既成地図ソフト利用)は、あくまでも「その周辺」とご理解ください。
参考文献: