歴史小説の主人公たちは、この界隈が舞台だった。
戌辰戦争を勝利に導いた兵法家 大村益次郎
幕末・明治の医師、陸軍軍医制度を確立 松本良順
ロシアとの和親条約の調印した勘定奉行 川路聖謨
幕臣で江戸城明け渡しの影の功労者 大久保一翁
ペリー来航の際の交渉役を務めた外国奉行 井戸覚弘
江戸末期の蘭学者で画家として有名 渡辺崋山
江戸の蘭学者で幕府を批判した 高野長英
「群書類従」などを編纂した盲目の大学者 塙保己一
浮世絵「東海道五十三次」を描いた 安藤広重
講談や映画・テレビでおなじみの名奉行 大岡越前
田沼意知を切って「世直し大明神」と呼ばれた 佐野政言
「首斬り浅右衛門」と呼ばれた男 山田浅右衛門
代々尾張徳川家の付家老だった 成瀬隼人正
意外!赤穂浪士は討入り前、麹町に大挙住んでいた。
吉良上野介は転居させられていた。
現在、東京駅八重洲口の北側にある北町奉行所跡の碑のある場所は、もともとは松の廊下刃傷事件で浅野内匠守に斬り付けられた吉良上野介義央の屋敷があった場所である。吉良家もまた、事件の責めを負って大名小路のある御曲輪内から、江戸城からは遠方の本所松坂町へ移転させられていたのである。
討入り前の潜伏先は麹町だった。
一方、討入りを計画する赤穂浪士たちは、数人ずつ変名で町家の裏店を借りて、その時期をうかがっていた。討入りの前には、47士のうち、なんと約1/3の17名もの浪士たちが麹町に4軒の裏店(うらだな。店は、店鋪ではなく貸家のこと)に分散して潜居していた。当時の地図には町人地での店名はほとんど明示されていないので場所を特定することはできないが、麹町での潜伏先は次の4カ所であった。とくに新麹町(当時町名を変更したことから、新が冠されていた)六丁目の「大屋喜左衛門店」は、参謀格の吉田忠左衛門以下5人が住んでおり、浪士たちの実質的な作戦本部であった。大石内蔵助もたびたびこの家を訪れ、同志の会合を持ったという。討入り前、三々五々麹町から出発し本所松坂町の吉良邸近くの隠れ家に集合したのであろう。
新麹町四丁目「大屋七郎右衛門店」
千馬三郎兵衛、間喜兵衛、間十次郎、中田利兵次、間十次郎弟の5人が住んでいた。
旧麹町四丁目「和泉屋五郎兵衛店」
中村勘助、間瀬久太夫、岡島八十右衛門、岡野金右衛門、小野寺幸左衛門、間瀬孫九郎、間瀬小市郎の7人が住んでいた。
新麹町五丁目「秋田屋権左衛門店」
富森助右衛門と妻子、弟が住んでいた。
新麹町六丁目「大屋喜左衛門店」
吉田忠左衛門、吉田澤右衛門、原惣右衛門、不破数右衛門、寺坂吉右衛門ら5人が住んでいた。