このまちが、「新しい女たち」を生んだのか、「新しい女たち」が、このまちをつくったのか
若くして散った「たけくらべ」の作家 樋口一葉
麹町の庶民の暮らしを描いた女流作家 網野菊
「女の吉川英治」と謳われた人気女流作家 吉屋信子
女性の視点からの官能と
ロマンを謳い上げた歌人 与謝野晶子
西洋音楽黎明期の第一人者 幸田延、
その妹で最初の日本人ヴァイオリニスト 安藤幸
「蝶々夫人」で世界を魅了した国際的プリマ 三浦環
ミラノ・スカラ座で歌った初の日本人ソプラノ 原信子
独特の感性で日本の美意識を打ち出した 白洲正子
実践女学園の創立に尽力した近代女子教育の先駆者 下田歌子
先進的な女性を育んだ明治女学校
1885年(明治18)、木村熊二夫妻によって飯田町に創立された明治女学校は、当時「女学雑誌」の編集人で熱血の人でもあった巌本善治が引き継ぎ、1890年(明治23)に麹町区下六番町6番地(現:六番町3)に移転してきた。 羽仁もと子、相馬黒光、大塚楠緒子、清水柴琴、野上弥生子(※)など、明治・大正・昭和に活躍する数多くの女性たちを育てたことで有名である。
当時は寄宿舎制度で、教員・生徒がこの地に住んでいた。この頃の教員には、巌本の妻の若松賤子、若き日の島崎藤村、北村透谷、津田梅子らがおり、女医の先駆けとなった荻野吟子も校医・舎監であった。
藤村が教え子の佐藤輔子に失恋したのもこの場所である。 1896年(明治29)火事に遭い校舎は焼失。その後は巣鴨庚申塚に移転し、1908年(明治41)には、その輝かしい歴史を閉じることになる。
※野上弥生子は、巣鴨移転後の生徒