江戸後期の浮世絵師であった安藤広重は、常火消(幕府直属の消防隊)同心職の家柄に生まれた。現在の丸の内二丁目1あたりはその常火消役屋敷があり、そこで広重は生まれた。当初は常火消同心として家督を継ぐが、文政6年に引退し画業に専念する。最初は美人画で売り出したが、次第に花鳥風月の色彩が強まり、風景画「東海道五十三次」で一躍世に認められた。
ジャンル | 浮世絵画家 |
ゆかりの地(旧) | |
ゆかりの地(現) | 丸の内二丁目1番 |
※ゆかりの地での(旧)は旧地番を表記し、(現)とはその場所の現行地番を示しています。
また、現行地番からのリンク先(既成地図ソフト利用)は、あくまでも「その周辺」とご理解ください。
参考文献: