番町麹町界隈『わがまち人物館』
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「青鞜」の命名者でもあった評論家

生田長江(いくた ちょうこう)  1882-1936

評論家・小説家の生田長江(本名:弘治)は、一高生の時、馬場孤蝶、与謝野鉄幹・晶子夫妻らの知遇を得て「明星」に寄稿。東大に入ってからは上田敏、孤蝶らと雑誌「芸苑」に参加した。その頃、上田敏に弁舌とうとうとして長江のごとしと評され長江の号を与えられたという。卒業後は与謝野晶子を中心とした閨秀文学会を結成し、その聴講者に平塚らいてう、山川菊栄らがおり、彼女らに影響を与え「青鞜」を生み出させた。その名の命名者でもある。早くからニーチェに傾倒し『ツアラトウストラ』を訳刊。その後は、自然主義、白樺派、新感覚派などの文学潮流への批判的な論陣を張った。大正10年40歳の時、本郷から上六番町へ移転したと資料にあるが、その詳細は不明。

ジャンル 作家
ゆかりの地(旧)  
ゆかりの地(現)  

 ※ゆかりの地での(旧)は旧地番を表記し、(現)とはその場所の現行地番を示しています。
     また、現行地番からのリンク先(既成地図ソフト利用)は、あくまでも「その周辺」とご理解ください。

 

参考文献:


千代田区麹町出張所地区連合町会・地域コミュニティ活性化事業実行委員会