評論家・小説家の生田長江(本名:弘治)は、一高生の時、馬場孤蝶、与謝野鉄幹・晶子夫妻らの知遇を得て「明星」に寄稿。東大に入ってからは上田敏、孤蝶らと雑誌「芸苑」に参加した。その頃、上田敏に弁舌とうとうとして長江のごとしと評され長江の号を与えられたという。卒業後は与謝野晶子を中心とした閨秀文学会を結成し、その聴講者に平塚らいてう、山川菊栄らがおり、彼女らに影響を与え「青鞜」を生み出させた。その名の命名者でもある。早くからニーチェに傾倒し『ツアラトウストラ』を訳刊。その後は、自然主義、白樺派、新感覚派などの文学潮流への批判的な論陣を張った。大正10年40歳の時、本郷から上六番町へ移転したと資料にあるが、その詳細は不明。
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ゆかりの地(旧) | |
ゆかりの地(現) |
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参考文献: