町奉行で外国奉行にも起用され黒船のペリーと交渉した旗本・井戸覚弘の屋敷は、番町小学校の斜向い(六番町1)にあった。一般に幕臣は交渉下手で、アメリカ側の主張に右往左往したように思われているが、その中でペリーは彼の能力を高く評価したと言われている。ペリーの日記の中に「50歳ぐらい、背が高く、かなり太っているが、感じの良い相貌。わがロンドン駐在(公使)のブキャナン(後の大統領)にどこか似ている。」と記している。
ジャンル | 幕臣・江戸町奉行・外国奉行 |
ゆかりの地(旧) | |
ゆかりの地(現) | 六番町1番地 |
※ゆかりの地での(旧)は旧地番を表記し、(現)とはその場所の現行地番を示しています。
また、現行地番からのリンク先(既成地図ソフト利用)は、あくまでも「その周辺」とご理解ください。
参考文献: