番町麹町界隈『わがまち人物館』
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日本の昔話研究に一生を捧げた

巌谷小波(いわや さざなみ)  1870-1933

テレビもなかった時代。子供たちは親や祖父母から聞くおとぎ話が、最大の楽しみであった。その「お伽噺」という語をつくり、後に日本の童話運動の中心となった巌谷小波(本名・季雄)は、平河町五丁目10番地(現:平河町二丁目5)の生まれ。滝廉太郎の麹町小学校の先輩で、彼がドイツ留学中にも交遊があった。医者であった父は早くからドイツ語を学ばせたが、彼は医者になることを嫌い文学を志した。そのきっかけもドイツ留学中の兄からメルヘン集が送られそのおもしろさに打たれ、後に童話の世界へと進んだと彼の四男で文芸評論家の巌谷大四氏が語っている。明治24年、博文館から出版された童話『こがね丸』で一躍児童文学の寵児となる。また彼の失恋を素材として尾崎紅葉が『金色夜叉』を書いたといわれる。

ジャンル 文学者
ゆかりの地(旧) 平河町五丁目10番地
ゆかりの地(現) 平河町二丁目5番

 ※ゆかりの地での(旧)は旧地番を表記し、(現)とはその場所の現行地番を示しています。
     また、現行地番からのリンク先(既成地図ソフト利用)は、あくまでも「その周辺」とご理解ください。

 

参考文献:


千代田区麹町出張所地区連合町会・地域コミュニティ活性化事業実行委員会