大正期のアナーキズム思想家であった大杉栄は、若き日の一時期番町界隈で過ごした。「その頃僕は僕よりも二十歳ばかり上の女性と一緒に下六番町(現:六番町8)に住んでいたのだった。」(自叙伝)と記している。現在の番町小学校の敷地内だが、番町幼稚園校舎のあるあたりと思われる。その後大杉は、大正12年関東大震災下に妻の伊藤野枝らとともに麹町憲兵隊で虐殺されたのが痛ましい。
ジャンル | 思想家 |
ゆかりの地(旧) | 下六番町37 |
ゆかりの地(現) | 六番町8番地 |
※ゆかりの地での(旧)は旧地番を表記し、(現)とはその場所の現行地番を示しています。
また、現行地番からのリンク先(既成地図ソフト利用)は、あくまでも「その周辺」とご理解ください。
参考文献: