1875年(明治8)に、一番町49(現:三番町8)で生まれる。夫(美学者・大塚保治)の友人である夏目漱石に師事し、厭戦詩として名高い「お百度詣」や「空薫」などを発表。明治女学校の級友だった相馬黒光によれば「女ながらも震いつきたいよう」な美人であったという。彼女が亡くなった時に詠んだ「有る程の菊抛げ入れよ棺の中」の句が、漱石の想いを伝えている。
ジャンル | 作家 |
ゆかりの地(旧) | 一番町49 |
ゆかりの地(現) | 三番町8番地 |
※ゆかりの地での(旧)は旧地番を表記し、(現)とはその場所の現行地番を示しています。
また、現行地番からのリンク先(既成地図ソフト利用)は、あくまでも「その周辺」とご理解ください。
参考文献: