薬学教育者。日清・日露戦争には、陸軍薬剤官として従軍。『独和他國字書大全』や『新医学大大辞典』などの大部の著書を著し、台湾総督府時代に知己を得た森林太郎(鴎外)が序文を寄せている。私財を投げ打ち、明治35年東京薬学専門学校(後に神田薬学校、明治薬学校に改称)を創立。それが、現在の明治薬科大学の前身である。 明治40年紀尾井町に新校舎を建設し、本邦初となる女子薬学校を併設。大正12年明治薬学専門学校、昭和24年明治薬科大学に昇格。平成4年創立100周年を迎えた。昭和8年紀尾井町校舎の跡地に剛堂会館(剛堂は恩田重信の号)を建設。現在、紀尾井町3-27に建つ剛堂会館は、昭和49年竣工。
ジャンル | 教育者 |
ゆかりの地(旧) | |
ゆかりの地(現) | 紀尾井町3番27号 |
※ゆかりの地での(旧)は旧地番を表記し、(現)とはその場所の現行地番を示しています。
また、現行地番からのリンク先(既成地図ソフト利用)は、あくまでも「その周辺」とご理解ください。
参考文献: