植村正久(1858〜1925)は、旗本の家に生まれた。日本最初のプロテスタント教会である日本基督公会を設立した宣教師バラの感化で1873年キリスト教へ入信。明治18年(1885)、下谷から上六番町23番地(*22番地とも。現:三番町7)に転居し、番町教会を開いた。その後、一番町18番地(現:三番町8)に移り一番町教会と称する。明治20年に会堂を一番町48番地(現:三番町24)に落成し、多くの信者を集めた。当時の教会員には、明治女学校長の巌本善治、島田三郎、中島信行(後の衆院議長)、国木田独歩、正宗白鳥など進歩的な文化人、ジャーナリスト、作家や
羽仁もと子らの明治女学校の生徒たちがいた。その後明治38年現在の富士見町六丁目3番地2(現:富士見2-10-38)に移転して富士見町教会となる。また3女の植村環(1890-1982)も一番町生まれ。女子学院を卒業し、女子英学塾、女子学院などで教鞭を取り、後に神学を修め日本最初の女性宣教師となる。日本YWCA会長などを歴任。
ジャンル | 宗教家 |
ゆかりの地(旧) | 上六番町23番地 一番町48番地 |
ゆかりの地(現) | 三番町7番地 三番町24番地 |
※ゆかりの地での(旧)は旧地番を表記し、(現)とはその場所の現行地番を示しています。
また、現行地番からのリンク先(既成地図ソフト利用)は、あくまでも「その周辺」とご理解ください。
参考文献: