嘉永6年、福岡生まれた官僚・政治家。
明治4年(1871)に渡米し、ハーバード大学で法律学を修める。明治憲法の草案起草に参画し諸法典の整備にも尽力。23年(1890)貴族院書記官長、貴族院勅選議員。農商務相、法相などを歴任。日露戦争終結時には旧友セオドア・ルーズヴェルト大統領と交渉し、外交工作にあたった。39年(1906)枢密顧問官。晩年は日米開戦まで一貫して日米友好に尽力したが、開戦の翌年死去。
屋敷は、一番町30番地(現:三番町5)にあった。
ジャンル | 外交官 |
ゆかりの地(旧) | 一番町30番地 |
ゆかりの地(現) | 三番町5 |
※ゆかりの地での(旧)は旧地番を表記し、(現)とはその場所の現行地番を示しています。
また、現行地番からのリンク先(既成地図ソフト利用)は、あくまでも「その周辺」とご理解ください。
参考文献: