裕福な実業家の家庭で育った女性活動家の加藤シヅエは、生後30日の時から17才で結婚をするまで、下二番町48(現在の二番町1)のドイツ人デラランダが設計した西洋風の家に住んでいた。(後に声楽家の原信子も住んだ場所である)
女子学習院中等科卒業と同時に石本恵吉男爵と結婚。1919年、夫の勧めで二人の幼子を残して渡米し、ニューヨークのバラード・スクールに学ぶ。留学中、産児制限の実践家マーガレット・サンガーと出会い、「産児制限」の重要性を説くのが生涯のミッションとなった。
帰国後、日本産児調節婦人連盟を設立し会長に就任。1946年4月の第22回衆議院議員総選挙に当選し、日本社会党に入党。労働運動家の加藤勘十と再婚。 1950年、第2回参議院議員通常選挙では全国区で当選し、1974年7月の政界引退まで参議院議員を務め、104歳という高齢で天寿を全うする。
ジャンル | 女性運動家 |
ゆかりの地(旧) | 下二番町43 |
ゆかりの地(現) | 二番町1番地 |
※ゆかりの地での(旧)は旧地番を表記し、(現)とはその場所の現行地番を示しています。
また、現行地番からのリンク先(既成地図ソフト利用)は、あくまでも「その周辺」とご理解ください。
参考文献: