木村摂津守喜毅(よしたけ)は、幕末期の幕臣。目付、軍艦奉行等幕府の要職を歴任し、とくに幕府海軍の建設に尽力し、咸臨丸の司令官を務めた。
老中阿部正弘に登用され、長崎海軍伝習所の取締に就任し操艦技術の向上に寄与した。日米修好通商条約批准のため、正使新見正興一行とは別に咸臨丸が同行し、木村は咸臨丸の司令官として軍艦奉行となる。その際、福澤諭吉を従者として連れて行くことになった。サンフランシスコに到着した咸臨丸は、市民の熱烈な歓迎を受けるが、中でも木村の態度識見に賞賛が集まった。
維新後は、新政府からもその実力を評価されて仕官の誘いがあったが、木村はそれらをすべて謝絶し、無位無官で詩文を読む生活を送った。
晩年に、土手三番町33番地(現:五番町12の日本大学大学院校舎あたり)に家屋を購入し、悠々自適の生活を送る。隣地は幕臣の先輩でもあった川路聖謨の終焉の地であった。
ジャンル | 幕臣・咸臨丸の司令官 |
ゆかりの地(旧) | 土手三番町33番地 |
ゆかりの地(現) | 五番町12 |
※ゆかりの地での(旧)は旧地番を表記し、(現)とはその場所の現行地番を示しています。
また、現行地番からのリンク先(既成地図ソフト利用)は、あくまでも「その周辺」とご理解ください。
参考文献: