文豪・幸田露伴の次女として生まれた幸田文は、6歳の時に実母を失い、8歳の時に継母を迎えた。女子学院を卒業後、24歳で清酒問屋を営む三橋家の三男幾之助と結婚し、娘・玉(1929-後に作家・随筆家になった青木 玉)をもうけるが、家業が傾き昭和11年に麹町の三軒屋に移転してきた。正確な場所は隼町というだけで定かでない。文によれば、その頃は「私は新川の酒問屋の御新様から、どしんとずり落ちるやとたんにしがない小売酒屋の、それも会員組織といえば聞こえがいいが謂わばもぐりでしている、常規の店構えさせないうちのおかみさんになっていた」(『勲章』)という。
近くには母校の女子学院があり、露伴の妹である幸田延(紀尾井町)や安藤幸(四番町)も住んでいたが、はたして訪れたのであろうか。その後、離婚して実家に戻り露伴の家を切り盛りした。露伴没後、乞われるままに露伴を追悼する随筆を執筆。その清新直截な文体が高く評価され、その後小説『流れる』『黒い裾』や随筆集を発表している。
ジャンル | 随筆家 |
ゆかりの地(旧) | |
ゆかりの地(現) | 隼町 |
※ゆかりの地での(旧)は旧地番を表記し、(現)とはその場所の現行地番を示しています。
また、現行地番からのリンク先(既成地図ソフト利用)は、あくまでも「その周辺」とご理解ください。
参考文献: