随筆家・詩人・哲学者の串田孫一は、エッセイ『麹町育ち』(文藝春秋2002年8月号)の中で、永田町、一番町に住んでいた思い出を懐かしそうに書き綴っている。それによれば、串田が永田町から一番町10に移転したのが昭和13年(1938)9月27日。「父はこれが自分の最後の家になるだろうと思ったのか、図面をひろげて考え込んでいた。」とあるのが、現在同番地に建っているホーマット・カメリアあたりと思われる。串田孫一の父・萬蔵(1867-1939)は三菱銀行の会長だった人である。
串田は、東京帝国大学哲学科を卒業。戦前は福永武彦らと詩誌『冬夏(とうげ)』を出し、戦後は詩誌『歴程』同人となる。戦前は上智大学、戦後は東京外国語大学で教鞭をとる。『永遠の沈黙パスカル小論』や山の本『若き日の山』などを発表し、尾崎喜八らとともに山の文芸誌『アルプ』を創刊。著作は膨大な量に上り、山岳文学、画集、小説、人生論、哲学書、翻訳など多岐にわたる。
ジャンル | 随筆家 |
ゆかりの地(旧) | 永田町一丁目十七番地 上二番町20-6 |
ゆかりの地(現) | 永田町一丁目11番 一番町20番地 |
※ゆかりの地での(旧)は旧地番を表記し、(現)とはその場所の現行地番を示しています。
また、現行地番からのリンク先(既成地図ソフト利用)は、あくまでも「その周辺」とご理解ください。
参考文献: