呉文炳は、明治23年「統計学の権威」呉文聡の4男として東京麹町に生まれる。「信託」という新しい経済概念を日本に紹介し、また日本大学総長として日大の発展に貢献、
私学団体総連合会会長として、戦 後の混乱期の中、GHQ(連合国軍最高司令部)との交渉にも大活躍し、日本の私学校の発展にも尽力した功績は大きい。「教育基本法」の作成にも関与。著書「麹町今昔」では、かつての麹町のありさまがいきいきと描かれている。昭和56年11月18日永眠。
最後の言葉 は「じゃ、行ってくるから!」だったという。ちなみに明治女学校最後の校長で、女性ではじめて一番町教会の長老に選出された呉久美(1855-1910)は叔母にあたる。
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参考文献: