日本の英語教育に多大きな足跡を残した英語学者の斎藤秀三郎は、1906年(明治39)に、五番町2番地(現:一番町2)の英国大使館脇の千坪ほどの敷地をもつ宏壮な邸宅に移り住む。1896年(明治29)、神田錦町に正則英語学校を創立し、当時その生徒が神田の町に群れをなしたというほど隆盛を極め、さらに彼が著した英語書は「実用英文典」をはじめ200册にもおよび、多大な印税をもたらした。
彼の長男の斎藤秀雄(1902-1974)は、チェロ奏者・指揮者・音楽教育家で、戦後は東京家政学院の教室を借りて「子どものための音楽教室」を開講し、その延長が現在の桐朋音楽大学となる。小澤征爾氏など多数の世界的な演奏家を育てたことはあまりにも有名。
また秀三郎の妹・斎藤冬子は、明治女学校の生徒の時、教師だった北村透谷と白熱の講議が繰り広げられたという。透谷が自死した年に、胸を病んでいた冬子も跡を追うように亡くなったが、懐には透谷からの手紙が忍ばせてあったという。
ジャンル | 教育者 |
ゆかりの地(旧) | 五番町2番地 |
ゆかりの地(現) | 一番町2番地 |
※ゆかりの地での(旧)は旧地番を表記し、(現)とはその場所の現行地番を示しています。
また、現行地番からのリンク先(既成地図ソフト利用)は、あくまでも「その周辺」とご理解ください。
参考文献: