旗本の佐野政言は、賄賂政治が横行した老中田沼意次の時代の天明4年(1784)、意次の子で父とともに権勢を誇った若年寄田沼意知を城中で切りつけ切腹を命じられた。原因は私憤であったとされるが、当時はこれを「世直し大明神」とたたえた。その屋敷は現在の大妻女子大学の校舎内(現:三番町12)にあった。当時そこには、「番町に過ぎたるものが二つある 佐野の桜に塙検校」といわれたほどの見事な枝垂れ桜があったという。
ジャンル | 旗本 |
ゆかりの地(旧) | |
ゆかりの地(現) | 三番町12番地 |
※ゆかりの地での(旧)は旧地番を表記し、(現)とはその場所の現行地番を示しています。
また、現行地番からのリンク先(既成地図ソフト利用)は、あくまでも「その周辺」とご理解ください。
参考文献: