蒲原有明とともに、同じく象徴派の詩人で随筆家の薄田泣菫は、明治30年頃に六番町の漢学者三好正気宅に寄宿していたと年譜での記述があるが場所は不明。この頃はじめて筆名でデビュー。明治25年「公孫樹下にたちて」で、藤村が詩壇から身を引いた後の詩壇の寵児となる。
ジャンル | 詩人 |
ゆかりの地(旧) | 六番町 |
ゆかりの地(現) |
※ゆかりの地での(旧)は旧地番を表記し、(現)とはその場所の現行地番を示しています。
また、現行地番からのリンク先(既成地図ソフト利用)は、あくまでも「その周辺」とご理解ください。
参考文献: