鳥海青児は、神奈川県平塚市の生まれの洋画家である。本名正夫。大学在学中から春陽会に入選して注目を集める。春陽会賞を連続受賞したのち、渡欧してフランス、スペイン、オランダ、モロッコなどを歴訪し、ゴヤやレンブラントなどの絵画に影響を受けた。帰国後は独自の風土感と重厚なマティエールによる抒情的作風で注目される。とくに砂を混ぜた茶色を基調とした絵具を厚く盛り上げたのち、それを削り取る技法を用いて、独特のざらざらとした絵肌の質感を特色とした。
1939年(昭和14年)に作家の美川きよと結婚。以前から美川が住んでいた町区六番町1-5(現:六番町1-5)が新居となった。
1943年(昭和18年) 春陽会を脱退し独立美術協会会員となる。以後、最晩年まで同会に作品を発表し続ける。代表作として『うづら』『闘牛』『ノートルダム』などがある。
ジャンル | 画家 |
ゆかりの地(旧) | 町区六番町1-5 |
ゆかりの地(現) | 六番町1-5 |
※ゆかりの地での(旧)は旧地番を表記し、(現)とはその場所の現行地番を示しています。
また、現行地番からのリンク先(既成地図ソフト利用)は、あくまでも「その周辺」とご理解ください。
参考文献: