彼の小説は知らなくとも、「芥川賞」とともに毎年2回発表される「直木賞」が彼を記念した賞であるといえば、頷く人も多いだろう。本名・植村宗一。「文藝春秋」発刊と同時にこれに参加し、文壇ゴシップを書いて話題を呼んだ。初期の「文藝春秋」は直木のゴシップで売れたとまでいわれた。
その後「由比根元大殺記」で大衆文学作家として認められ、『南国太平記』『楠木正成』など多くの歴史小説を書いた。しかし、彼が作家として一世を風靡したのは晩年の4、5年であった。親友であった菊池寛はその死をいたみ、昭和10年、昭和2年に自殺した芥川を記念する賞とともに「直木賞」を創設して二人の亡友を記念した。
文藝春秋(昭和27年)の「文藝春秋三十年の思ひ出」という座談会で、宇野浩二が「あの時分直木は六番町にいたから、有島邸のすぐそばだ。」と語っている。あの時分とは有島邸に文藝春秋社があった昭和元年から2年にかけてのことである。『直木三十五伝』(文芸春秋刊)の年譜によれば、有島生馬の貸家で下六番町10番地(現:六番町3)。昭和2年から6年まで住み、その後1年足らずを紀尾井町3に住んだ。また広津和郎の『同時代の作家たち』の直木三十五の項を読むと、作家になる前には「三番町の通の東郷元帥邸から少し市ヶ谷に寄ったところの右側の或路地の突き当りに彼の家はあった。」と書いているが、これも年譜によれば、大正7年から住んでいた三番町28番地(現:九段南4丁目8)である。
ジャンル | 作家 |
ゆかりの地(旧) | 下六番町10 |
ゆかりの地(現) | 六番町3番地 |
※ゆかりの地での(旧)は旧地番を表記し、(現)とはその場所の現行地番を示しています。
また、現行地番からのリンク先(既成地図ソフト利用)は、あくまでも「その周辺」とご理解ください。
参考文献: