麹町の心法寺の脇道は、かつては成瀬横丁と呼ばれていた。この一帯は成瀬隼人正の上屋敷だったからである。成瀬隼人正は、代々尾張徳川家の付家老職で犬山藩主として知られる。付家老(つけがろう)とは大名級の徳川譜代の家臣を徳川御三家だけに家老として配したもの。幕末最後の年に付家老すべてが滑り込みで幕府ではなく朝命により大名に列せられた。最後の藩主成瀬正肥は新政府でも高官に任ぜられ、当初の男爵から子爵に昇進した。その末裔の成瀬正勝(1906-73)は東大教授で近代文学の研究家。その明治以降の膨大な文学書コレクションは戦災ですべて焼失したが、戦後再び約2万册を収集し直し、現在は明治村の「旧名古屋衛戍病院」の中に「成瀬正勝文庫」として収蔵されている。
ジャンル | 尾張徳川藩付家老職 |
ゆかりの地(旧) | |
ゆかりの地(現) | 六番町11・13・15番地 麹町六丁目6番地 |
※ゆかりの地での(旧)は旧地番を表記し、(現)とはその場所の現行地番を示しています。
また、現行地番からのリンク先(既成地図ソフト利用)は、あくまでも「その周辺」とご理解ください。
参考文献: