「私の生家は、皇居のお堀端に近い麹町区平河町五丁目四番地にありました。このあたりは、徳川時代旗本屋敷の建ち並ぶ屋敷町でしたので、東京の街中とはいえ、大正の頃でも周辺に大木が茂り、緑豊かな街でした」と自伝的エッセイ『ホルトの木の下で』の中で述懐する堀文子が、「絵なら男女のハンディがあり得ないと思って」選択した道が日本画の世界だった。
女子美術専門学校(現:女子美術大学)を卒業後、『稲束の群れ』で創造美術展の奨励賞を受け、その後すぐれた女流日本画家に贈られる上村松園賞を受賞。四季の花と自然をテーマに幻想的な筆致で、独自の画風を確立した。イタリアのアレッツォ郊外にアトリエをもつなど、国際的にも活躍。串田孫一や土門拳らとの交流も深い。
なお生誕地の平河町は、現在の平河町二丁目16にあたる。
ジャンル | 画家 |
ゆかりの地(旧) | 麹町区平河町五丁目四番地 |
ゆかりの地(現) | 平河町2丁目16 |
※ゆかりの地での(旧)は旧地番を表記し、(現)とはその場所の現行地番を示しています。
また、現行地番からのリンク先(既成地図ソフト利用)は、あくまでも「その周辺」とご理解ください。
参考文献: