大正・昭和期に活躍した小説家・劇作家の水上滝太郎は、師として尊敬していた泉鏡花のすすめで下六番町29(現:六番町2)に、1923年(大正12)から住んでいた。ここは当時、まだ立派な長屋門が残っていた旗本屋敷で、鏡花は「元禄屋敷」と呼んでいた。彼の父は明治生命の創立者で、彼自身も同社役員として終生小説家と実業家の二足のわらじを履きながら、執筆活動と「三田文学」の編集に尽力した。
1940年、奇しくも師である鏡花の追悼号に「覚書」を書いたのが絶筆となり53歳の若さで急逝した。
代表作には「大阪」「大阪の宿」などがあるが、評論集「貝殻追放」にもっとも彼のリベラルな人柄が現れており、今日再評価したい文学者の一人である。
ジャンル | 作家 |
ゆかりの地(旧) | 下六番町29 |
ゆかりの地(現) | 六番町2番地 |
※ゆかりの地での(旧)は旧地番を表記し、(現)とはその場所の現行地番を示しています。
また、現行地番からのリンク先(既成地図ソフト利用)は、あくまでも「その周辺」とご理解ください。
参考文献: