松江の出身で大蔵官僚から政治家になり、首相を2度経験した若槻礼次郎の屋敷があったのが、中六番町40(現:四番町4)。若槻は加藤高明とともに憲政会に加わり、加藤の死後は総裁となって1926年内閣を組織。しかし昭和恐慌の責任をとって総辞職。ロンドン会議の首席全権として活躍して、31年再び首相となるが満州事変で辞職した。
ジャンル | 政治家 |
ゆかりの地(旧) | 中六番町40 |
ゆかりの地(現) | 四番町4番地 |
※ゆかりの地での(旧)は旧地番を表記し、(現)とはその場所の現行地番を示しています。
また、現行地番からのリンク先(既成地図ソフト利用)は、あくまでも「その周辺」とご理解ください。
参考文献: