堺利彦の一人娘(利彦の最初の妻・美知の長女)で、社会主義者の活動と官憲の弾圧を目の当たりにして育った婦人運動家、フェミニスト。
成女高等女学校を卒業すると、18歳で山川菊栄と伊藤野枝を顧問格に据え、九津見房子らとともに日本最初の社会主義女性団体赤瀾会(せきらんかい)を結成。直後のメーデーでデモを敢行し全員検束され注目を集めた。その後、日本共産党(第一次共産党)に入党するが、やがて同党と袂を分かち、奥むめお(初代主婦連会長)や市川房枝(参議院議員)らと婦人戦線の統一を図った。戦後は政党に属すことなく、日本婦人有権者同盟で会長を務めたほか、大逆事件の真相解明を求める運動を起こした。
売文社の社員だった活動家近藤憲二と結婚し、近藤姓となる。彼女が育った環境もまた麹町近辺であった。堺利彦から真柄宛の獄中書簡は、真柄が20歳の時のもの。著書に『わたしの回想』上・下などがある。
ジャンル | 女性活動家 |
ゆかりの地(旧) | 元園町一丁目 |
ゆかりの地(現) | 麹町一丁目・二丁目 |
※ゆかりの地での(旧)は旧地番を表記し、(現)とはその場所の現行地番を示しています。
また、現行地番からのリンク先(既成地図ソフト利用)は、あくまでも「その周辺」とご理解ください。
参考文献: